ビールと孤独
俺が死んだのは、梅雨の真っ最中だった。……孤独死。部屋のドアノブには、役所がつけたらしい、見慣れない鍵のケースがぶら下がってる。
俺は、自分の部屋から出られない。窓の外には、冷たい雨が降り続いている。生きてる時も、ほとんど部屋から出かった。だから、死んでも、やることが変わらない。ただ、部屋の隅で、ぼんやりと、雨音を聞いてるだけ。そんなある日、俺の部屋に、新しい住人がやってきた。
若い男だった。彼は、俺と同じように、孤独を抱えてるように見えた。いつも、一人でビールを飲んでいた。俺は、その男のことが、気になった。男がビールを飲む時、俺も、彼の隣に座って、一緒にビールを飲むふりをした。もちろん、俺は飲めない。ただ、男がグラスを傾けるたびに、俺も、自分の手のひらに、空のグラスを握りしめて、一緒に、乾杯する。男は、俺が見えてない。でも、俺は、男の孤独が、痛いほどわかる。そして、俺も、男と同じように、孤独だった。ある日、男は、俺に話しかけた。
「なぁ、お前、ここにいるんだろ?」
俺は、驚いて、声も出なかった。でも、男は、俺に聞こえるように、静かに言った。
「俺、お前と一緒に、ビール飲みたいんだ」
俺は、その言葉を聞いて、なんか、胸の奥が熱くなった。俺は、もう、言葉を交わすことはできない。でも、男は、俺の孤独を、ちゃんとわかってくれたんだ。
その日から、男は、ビールを飲む時、いつも二つのグラスを用意するようになった。一つは、男のグラス。もう一つは、俺のグラス。俺は、そのグラスを、両手で包み込んで、冷たい感触を、胸に刻み込む。そして、男は、いつも俺のグラスに、「ありがとう」と言って、ビールを注いでくれる。そのたびに、俺の心の中にあった、冷たい孤独が、少しずつ、温かい泡になって、消えていく。
俺はもう、孤独じゃない。男の孤独を、心の中に、温かい泡に変えていく。
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